これは個人的な持論であるが、AIというのは「AI」として研究され、大衆の間では神秘性と期待をもって見守られる。そして、それが実現すると応用され=アプリケーションに組み込まれ、一般に広く利用されるようになる。するとそれはもはや、AIではなくただの仕組み、ツールであるとみなされる様になる歴史を繰り返してきた。
私はこれを「AIは実現した瞬間にAIではなくなるパラドックス」と勝手に名付けている。
典型的な例としては、音声認識があげられる。声を聴いて文字起こしをする、という技術はAIの領域の研究テーマであったはずが、実現した今では神秘性を失い、たまに文字を間違える精度の低い仕組み、といった程度の社会的認識になっている。
実現する前、あるいは実現した当初には相当画期的であったにも関わらず、である。
なぜこのような認識の変容が繰り返されるのか、歴史を紐解きながら探ってみたい。