2023年5月10日水曜日

「AIは実現した瞬間にAIではなくなるパラドックス」AIがAIでなくなる日 - Chat GPTのインパクトとAGIの未来について

これは個人的な持論であるが、AIというのは「AI」として研究され、大衆の間では神秘性と期待をもって見守られる。そして、それが実現すると応用され=アプリケーションに組み込まれ、一般に広く利用されるようになる。するとそれはもはや、AIではなくただの仕組み、ツールであるとみなされる様になる歴史を繰り返してきた。

私はこれを「AIは実現した瞬間にAIではなくなるパラドックス」と勝手に名付けている。

典型的な例としては、音声認識があげられる。声を聴いて文字起こしをする、という技術はAIの領域の研究テーマであったはずが、実現した今では神秘性を失い、たまに文字を間違える精度の低い仕組み、といった程度の社会的認識になっている。

実現する前、あるいは実現した当初には相当画期的であったにも関わらず、である。

なぜこのような認識の変容が繰り返されるのか、歴史を紐解きながら探ってみたい。

AIの起源と進化

AIの概念自体は古く、1956年にダートマス会議で初めて提唱された。その後の数十年で、AIは様々な形で発展した。ルールベースのエキスパートシステム、遺伝的アルゴリズム、機械学習、そして現在のディープラーニングなど、時代ごとにAIの形状は変化し続けている。

AIが社会に浸透し、具体的な問題を解決するツールとして使用されるようになると、その技術自体が目立つことは少なくなる。これは、その技術が当たり前になり、我々の日常生活に組み込まれてしまうからであろう。AIが目指す「知能」が具現化され、それが我々の手元にあるとき、それはもはや「AI」ではなく、「便利なツール」となるのだ。

AIはしばしば未来の技術や驚異的なものとして認識される。我々がAIをイメージするとき、多くの場合はSF映画に出てくるような、人間と同等またはそれ以上の知能を持つ存在を思い浮かべる。しかし、実際のAI技術は、特定のタスクを解決するためのツールとして開発される。それが一般に広く普及し、日常生活の一部となると、我々はその技術が「驚異的」ではなく「普通」であると感じるようになる。

つまり、AIが具体的な問題を解決するツールとなり、それが日常的に使われるようになると、我々はそれを「AI」というよりは「ツール」と認識するようになるのだろう。

これまでのAIはそのような説明でかたが付いていた様に思うがChat GPTからは少し様子が変わってくるのではないか。

Chat GPTとそのインパクト

現在のAIの進化の最前線に立つ存在として、OpenAIのChat GPTを挙げることができる。このAIは、GPT-4という最新のAIモデルを使用して、人間と同様の自然な会話を生成することがでる。

はっきり言ってこれほどまともに会話が成立するAIは画期的であったはずでる。ひと昔前であればいわゆる汎用AIと思われていてもおかしくなかったかもしれないレベルだと感じる。

しかし、半年近くたった今、我々はChatGPTにも不満や不完全性を感じ、ツールとして位置づけ始めている。

Chat GPT、又はその様な技術は、テキストベースのAIとして、企業のカスタマーサポート、教育、エンターテイメントなど、多岐にわたる分野で利用されていくだろう。これらは日常的に使用され、その多くは当然「ツール」としての位置づけで見られる事になる。

これが再び、「AIがAIではなくなる」現象を体現している。表面的にはほとんど人間と同じような受け答えが出来る相手でありながら、それはツール・機械と認識されてしまうのである。

そして仮にChat GPTの応答を実は裏で人間がタイピングしていたとしても、もはやこのツール・機械という認識には変わりがないだろう。ある意味空恐ろしい事である。

汎用AIと未来

この「AIは実現した瞬間にAIではなくなるパラドックス」が我々に示すのは、AI技術の進歩とその社会への浸透が、我々の認識と感覚をどのように変えるかというある種の啓示である。そして今後の未来に目を向けるとき、汎用AI(AGI:Artificial General Intelligence)が実現した場合にはどうなるのか?※これはAIが人間と同等の知能を持つことを指す。

実現するのかどうかは今のところ分からないが、もし汎用AIが実現したとしたら、そのインパクトは現在のAI技術、Chat GPTを遥かに超えるだろう。それは、我々の生活、働き方、さらには社会全体を根本的に変える可能性がある。しかし、その一方で、我々はその技術を「AI」と認識し続けるのだろうか、それともそれを「ツール」と認識するのか。あるいは別の何か新しい概念が生まれるのか。そしてその時ヒトとAIの扱いや、人権について何を根拠にどの様な違いがあるのか、ないのか。

この疑問への答えは、未来にしかないのだろう。

しかし、個人的な希望としては、AGIは実現しない方が良いと思う。人と同等の知能を持つ者がツールとして扱われるか、人がツールと同等に扱われるか、いずれかの未来を招かぬために。

まとめ

AIは研究の段階ではその神秘性と期待から大衆の注目を集める。しかし、実現し一般的に使用されるツールとなると、その神秘性を失い、「AI」ではなく「ツール」として認識される。これは「AIは実現した瞬間にAIではなくなるパラドックス」とも言える。

音声認識のような技術もかつてはAIの研究テーマであったが、今ではその神秘性を失い、一部の誤りを含むツールとして認識されている。これはAIの進化と普及に伴う認識の変化であり、我々の生活にAIが浸透することで発生する。

最新のAIモデル、GPT-4を使用したChat GPTは人間のように自然な会話を生成できる。これは画期的な進歩であるが、時間が経つにつれ、我々はその不完全性に不満を感じ、ツールとして認識するようになっている。これは再び、「AIがAIではなくなる」現象を示している。

未来を見据えると、人間と同等の知能を持つAI、汎用AI(AGI)が実現した場合、そのインパクトは現在のAI技術を遥かに超えるだろう。それは我々の生活や社会全体を根本的に変える可能性がある。しかし、その時、我々はその技術を「AI」と認識し続けるのか、それとも「ツール」と認識するのか、は未知数である。個人的な希望としては、人間と同等の知能を持つAIがツールとして扱われるか、人間がツールと同等に扱われる未来を避けるため、AGIが実現しない方が良いと考えている。

0 件のコメント:

ウェブサイトのURLにおけるトレイリングスラッシュの解釈と有無による動作の違い

インターネットが現代社会におけるコミュニケーションの基盤となっている今日、ウェブサイトのURLはビジネスや個人ブランディングにとって重要な役割を果たしています。URLは単にウェブページへの経路を示すだけでなく、SEO(検索エンジン最適化)においても重要な要素です。この記事では、U...